Jun 30, 2010
家族団らんの時間を増加キッチンリフォーム
夫人が北向きの窓に向かって一人で寂しく後片付け。そのような孤立感を感じている場合は、リフォームで対面キッチンにしてみませんか。配管を少し移動する必要がないが、キッチンとリビングルームの食事を統合することで広いスペースを取ることができ、料理と整理をしながらも、リビングにいる家族と会話ができます。そういうわけで壁の方向で対面にリフォームする場合には非常に多いです。私は引越しを予定していますが、どうかして資金がたまらない。 3階に住んでいるのに下の人たちがうるさくて仕方がないからだ。夜中の仕事をしているようだが、何をしているとか。最近引っ越して来たばかりだが、常にこの2階の客室には、離婚や不和が徐々に出ている。この夫婦も同様の運命を追跡するのだ。引越しする前に、向こうが引越しまで待つか、。
◇大震災で飼育が困難に 古里思い出し復興の力に
国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」のため福島県南相馬市で飼育されていた希少種「木曽馬」の雄・松風(まつかぜ)号が東日本大震災後、木曽町開田高原にある「木曽馬の里乗馬センター」に避難。元気な姿を見せている。【大島英吾】
松風号は98年5月、旧中条村(現長野市)で誕生。毎年7月23〜25日に南相馬市で開かれる相馬野馬追で使うため、生後まもなく同市の菅野大作さん(43)が引き取った。信州生まれ福島育ちの松風号は10年以上にわたり、武士の格好をした参加者を乗せ出陣してきた。
菅野さん宅と厩舎(きゅうしゃ)は東京電力福島第1原発から30キロ圏のわずかに外側。津波や倒壊の難も逃れた。しかし、原発事故の影響で飼料の確保が難しくなるなど、飼育が困難になっていった。震災1週間後、木曽馬の里に松風号を預かってもらえるよう頼んだ。
同センターの飼育・調教総括、中川剛(たける)さん(34)は「ちょうど繁殖期で馬小屋に余裕はなかったが、できるのは自分たちしかいない」と快諾。4月26日、トラックに牧草やマスク3000枚など救援物資を積んで現地に向かった。
「道路のすぐ脇に船が転がる光景に驚いた」。ガソリン不足に苦労しながら、翌27日に物資と入れ替えに松風号を乗せ、木曽町に連れ帰った。
丸々とした腹が特徴の木曽馬の中では松風号はもともと細身の血統だが「避難当初は背骨が浮き上がり、腹はげっそりしていた」と中川さん。今月5日まで中川さん宅で検疫を受け、7日から放牧されている。
普段はのんびり草を食べて過ごし、時々他の馬と追いかけ合いながら勢いよく走り出すことも。食欲も旺盛で体重は徐々に増えているという。「家畜の殺処分などの報道を見ると胸が痛い。役立てる限り支援したい。県内の人にも木曽馬を見てもらい、復興につながる元気を日本全体に広めたい」と中川さん。県内には南相馬市から避難した被災住民も多く「同郷の馬と触れ合って、古里の悲惨さではなく懐かしさを思い出し、復興への力にしてほしい」と話していた。
今後は松風号の体力維持のため、乗馬も検討しているという。
5月16日朝刊
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戦国時代の終わりに少数の真田軍が3倍以上の徳川軍を破り、真田の名を天下に知らしめたという第一次上田合戦(神川合戦)の場所といわれる上田市の神川(かんがわ)に15日、「神川合戦の地」のぼり旗が設置された。古戦場を市民や観光客に知ってもらい、地区の活性化を狙う。
同日は、神川地区の自治会などでつくる振興会と壮年ソフトボール神川リーグのメンバーら地域住民ら約40人が参加し、のぼり旗15本を設置した。設置は同地区の自治会などが昨夏、市に要望し、市がのぼり旗を作った。同市商工観光部の金子義幸部長(56)は「合戦の地を知ってもらいたい」と話している。
神川合戦は1585年に真田軍約2000人が巧みな作戦で徳川軍約7000人を破った戦いとして知られている。【福富智】
5月16日朝刊
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00年シドニー五輪女子ソフトボールの元主将で、現在は山形北高のソフトボール部を指導している松本直美さん(43)が、被災地の高校のソフトボール部を招いて開いた「震災復興チャリティー大会」。大会開催を4月30日付山形面で報じた後、毎日新聞山形支局には「ぜひ見に行きたい」という問い合わせが相次いだ。
被災地では津波で浸水して道具が流されたり、避難所暮らしで選手がバラバラになったり、放射線の影響でグラウンドに出ることを制限されている学校もある。ソフトボールをやりたくても、「やりたい」と口に出せる状況ですらなかったという。「選手が毎日見るのは、がれきの山やグラウンドにたまったヘドロなどの悲惨な光景ばかり。環境を変えてあげたい」と話す松本さんの思いを聞いて、成功を祈った。
スポーツ店はボールを寄付し、約20の団体や店からは100万円弱の協賛金も集まった。試合当日には用具を寄付する人が多数駆け付けたことを含め、松本さんの願いは見知らぬ人と人とをつなぎ、善意の輪を広げた。その姿に、優れたキャプテンシー(統率力)から「世界一のキャプテン」と称された日本代表時代の松本さんを想像した。【浅妻博之】
5月16日朝刊
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